特別展 没後100年記念 住友春翠―仕合せの住友近代美術コレクション
会期:2026年8月29日[土]〜10月12日[月・祝]
前期:8月29日[土]~ 9月23日[水・祝] 後期:9月25日[金]~ 10月12日[月・祝]
開館時間:午前11時00分~ 午後6時00分
※金曜日は午後7時まで開館 ※最終入館は閉館30分前まで
休館日:月曜日(9/21-23、10/12は開館)、9月24日[木]
会場:泉屋博古館東京(東京・六本木一丁目駅)
住友春翠が築いた美の軌跡
公家の美意識から近代美術の収集、芸術支援と社会貢献までをたどる
明治から大正にかけて住友家15代当主を務めた住友吉左衞門友純(ともいと、号・春翠、1864〜1926)は、実業家であると同時に、美術収集や芸術家支援、社会貢献にも力を注いだ人物として知られる。
本展では、春翠が築いた近代美術コレクションを、作品が住友家に入った収集順に紹介する。そこから見えてくるのは、単なる個人の趣味ではなく、公家に生まれた春翠の美意識、邸宅での暮らし、芸術家との交流、そして「美術を通じて社会に貢献する」という思いが重なり合った、独自のコレクション形成の姿である。

クロード・モネ《モンソー公園》 1876年 泉屋博古館東京
春翠はもともと住友家の人間ではなく、公家・徳大寺家の生まれ。徳大寺家は五摂家に次ぐ名門・清華家であり、春翠は幼少期から漢学・国学・歴史に加え、書画、和歌、茶の湯、能楽といった公家文化の素養を身につけた。人生に大きな影響を与えたのは、兄・西園寺公望である。パリ留学経験を持ち開明的だった西園寺と、伝統を重んじた父。この対照的な二つの価値観のもとで、春翠は育った。
明治25年(1892)、29歳で住友家の養子となり、翌年15代吉左衞門を襲名。公家から商家へという転身が、最初の転機となった。

山崎朝雲《竹林の山濤(さんとう)》 大正元年(1912) 泉屋博古館東京
美術活動の面でも西園寺の存在は大きい。明治27年(1894)、西園寺の依頼を受け、春翠は洋画家・黒田清輝や山本芳翠を支援するようになる。それは個人的な援助にとどまらず、「我が国の美術の保護」という思想に基づくものだった。西園寺からは「本当にいいものを、買えるだけ買うがよい」との助言もあったという。
黒田の《昔語り》や、議論を呼んだ裸体画《朝妝(ちょうしょう)》などもこの頃コレクションに加わったが、これら初期の重要作品の多くは昭和20年(1945)の空襲で須磨別邸とともに焼失している。

藤島武二《幸ある朝》 明治41年(1908) 泉屋博古館東京
明治30年(1897)の欧米視察は、春翠にとって大きな契機となった。西洋の実業家の生活や、利益を社会に還元する姿勢(ノブレス・オブリージュ)に感銘を受け、以後の社会貢献・文化支援志向につながった。この旅では、パリで美術商・林忠正からモネらの作品を購入している。春翠と林を引き合わせたのも西園寺であった。

迎田秋悦(こうだしゅうえつ)《秋草蒔絵硯箱》 大正時代(20世紀) 泉屋博古館東京
コレクション形成のもう一人の重要人物が、洋画家・鹿子木孟郎(かのこぎ・たけしろう)である。住友家の支援でヨーロッパに留学した鹿子木は、帰国後、西洋絵画や同時代日本人画家の作品、自身の作品を数多く住友家にもたらした。ネズミと大根を描いた洒落の効いた掛軸には、単なるパトロン関係を超えた二人の親密さが表れている。
西園寺、鹿子木、さらに表具師・井口邨僊(そんせん)など、春翠のコレクションは作家と収集家をつなぐ“仲介者”の存在に支えられていた。

尾竹竹坡《九冠鳥》(部分) 明治45年(1912) 泉屋博古館東京
明治36年(1903)に完成した須磨別邸(洋館)にはモネなどの洋画が飾られ、一方、大正期の和風建築・茶臼山本邸には、香田勝太の銀地油彩屏風のような日本的空間にふさわしい作品が置かれた。

香田勝太《春秋草花図》左隻 大正6~7年頃(c.1917~18) 泉屋博古館東京

香田勝太《春秋草花図》右隻 大正6~7年頃(c.1917~18) 泉屋博古館東京
欧米視察で文化支援の意義を学んだ春翠は、明治37年(1904)に大阪図書館(現・大阪府立中之島図書館)の建設費と図書購入基金を寄付。明治40年代には大阪に美術館を新設する構想を抱き、文展や巽画会出品の大作を積極的に購入していった。この時期の収集は、邸宅を飾る実用性を超え、地域文化振興という公共的な目的を帯びていた点が特筆される。

重要文化財 板谷波山《葆光彩磁珍果文花瓶(ほこうさいじちんかもんかびん)》大正6年(1917) 泉屋博古館東京
会場で一際存在感を放つ《銀玉象嵌鳳凰耳付花瓶》は、大正10年(1921)に春翠が茶臼山本邸の敷地を美術館用地として大阪市に寄付した際、その返礼として釜師・大国柏斎が制作したもの。1万円という高額な制作費をかけた豪華な作品には、返礼を期待しなかった春翠と、それに応えようとした大阪市、双方の心意気が込められている。
晩年の春翠は書画・茶の湯・能を楽しみながら、井口邨僊を介して望月玉渓や上田耕甫らの作品を収集し、公家由来の「典雅清淡」な美意識を深めていった。

上島鳳山《十二ヵ月美人》のうち「九月 菊花」 明治42年(1909) 泉屋博古館東京
本展は「コレクション研究」を趣旨とし、作品が「いつ・どこで・誰から・なぜ」収集されたかを検証する。西園寺や鹿子木、井口邨僊らの影響と、春翠自身の国益・社会貢献への意識が収集を支え、その理念は美術館構想へとつながっていった。
「富豪は二重の人格を持つ」という小杉未醒の言葉のとおり、春翠には個人としての顔と、家や文化を担う存在としての顔があった。本展は、その両面からコレクションの意味を読み解く機会となる。
【入館料】
一般1,500円、学生800円、18歳以下無料
※入館券はオンラインチケットを除き、館受付での販売となります。
※学生・18歳以下の方は証明書をご呈示ください
※会期中2回目ご来館時には本展半券ご提示で1名様1回限り半額
※20名以上は団体割引料金(一般1,300円、学生700円)
※障がい者手帳等ご呈示の方は無料
※ぐるっとパス2026、泉屋博古館東京年間パスポートも利用可




コメント