浮世絵でめぐる隅田川の名所
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- 4月30日
- 読了時間: 7分
会期:2025年4月26日[土]~6月22日[日]
前期 4月26日[土]~5月25日[日]
後期 5月27日[火]~6月22日[日]
開館時間:午前10時~午後5時 ※入館締切は午後4時30分
休館日:月曜日(ただし、5月5日は開館)、5月7日[水]
会場:たばこと塩の博物館 2階特別展示室
隅田川周辺の歴史をたどりつつ、晴れた川沿い散歩を楽しむ気分に浸れる、
移転10周年のたば塩の熱意の結晶を見るような展覧会
隅田川は江戸の人々にとって身近な行楽地であり、寺社や自然を楽しめる名所だった。特に向島は都心に近いにもかかわらず、のどかな雰囲気で人気を集めた。また、隅田川は浮世絵の重要な題材であり、名所絵だけでなく、役者絵や美人画の背景などにも描かれ、“絵になる川”として親しまれていた。
本展では、浮世絵に描かれた隅田川周辺の寺社、花名所、料亭などを3つのコーナーで紹介し、前後期合わせて約150点の浮世絵を通して、当時の様子や背景とともに江戸の人々が楽しんだ隅田川の魅力を伝える。

東都旧跡尽 浅草金龍山観世音由来 歌川広重 [通期展示]
第一部「江戸の華 隅田川」では、人々に親しまれ多くの浮世絵に描かれた江戸時代の隅田川の美しい自然や名所をたどる。川の流れや地形は利根川の瀬替えによって大きく変化し、現在の隅田川はその後の姿を反映している。
隅田川の名所としてまず挙げられるのが浅草寺。推古36年(628年)、隅田川で発見された観音像をきっかけに浅草寺が建立され、江戸の人々に広く知られた名所となった。歌川広重の《東都旧跡尽 浅草金龍山観世音由来》は、そのエピソードに題材をとったもので、三人の漁師が隅田川から観音像を引き上げる場面が描かれている。

浮絵隅田川梅若宮雪見之図 歌川国虎 [前期展示]
木母寺(もくぼじ)は、人買いにさらわれ隅田川で亡くなった梅若丸、母の悲しみの中で弔いのために建てられたと伝わる寺。この悲話は後に謡曲「隅田川」のもととなった。
歌川国虎の《浮絵隅田川梅若宮雪見之図》では、画面向かって左側に柳を植えた梅若塚が、雪が積もる中に手を合わせる人の姿もみえる。

隅田堤桜盛 溪斎英泉 [前期展示]
墨堤といえば桜が名高く、三囲稲荷から木母寺まで続く桜並木は、八代将軍吉宗の命により享保年間(1716〜1736)に誕生。江戸近郊でありながら郊外の趣があり、浮世絵にも多く描かれる名所だった。
溪斎英泉《隅田堤桜盛》は、隅田川の東岸から西方向を見た図で、遠くに富士山が見える。寺島村近辺(現在の墨田区墨田、東向島辺り)を描いていて、桜が植樹された堤と川の間には田畑が広がる様子が描かれている。

東都両国遊船之図 歌川広重 [後期展示]
明暦の大火(明暦3年、1657)の犠牲を受け、防火・防災のため隅田川に両国橋が架けられた(それまで隅田川には千住大橋のみ)。橋の両側には火除け地が設けられ、見世物小屋や茶屋が立ち並び、賑わいを見せた。
歌川広重《東都両国遊船之図》には、両国橋から上がる花火を見物する人々の様子や、遠くの吾妻橋、多くの納涼図に登場する「川一丸」などが描かれている。

三囲の夜雪 歌川国貞(三代豊国) [後期展示]
第二部は「広がる名所」。隅田川一帯は、江戸の中心部から船で容易にアクセスでき、都市とは異なる田園風景とともに、古くからの社寺に加え、新たに賑わいを増した社寺や花名所、名物料理の料理屋などが集まる人気の観光地として発展した。
歌川国貞(三代豊国)による《三囲の夜雪》では、雪が降る中、料理屋帰りらしい役者や女性たちが、船に乗り込もうとしている。画面右上部に三囲稲荷の鳥居の笠木が見え、竹屋の渡の船着き場であることがわかる。

江戸名所尽 梅屋舗臥龍楳開花ノ図 溪斎英泉 [前期展示]
亀戸天神近くにあった清香庵(梅屋敷)は、名木・臥龍梅(がりゅうばい)で有名な梅園で、開花期には多くの人が詰めかけた。『新編武蔵風土記稿』には、水戸光圀が訪れたとき臥龍梅と名付けた、とある。園内には約300本の梅の木があり、特に臥龍梅は浮世絵によく描かれた。
溪斎英泉の名所絵シリーズ中の《江戸名所尽 梅屋舗臥龍楳開花ノ図》にも、満開の梅屋敷が描かれています。

『於中清七着替浴衣団七縞』前編 欣堂間人作 歌川国丸画 [通期展示]
寺島村の百花園は、文化(1804〜1818)初めに佐原鞠塢(きくう)が開園し、当初は亀戸の梅屋敷にちなみ新梅屋敷と呼ばれたが、後に秋の七草をはじめ四季折々の花を楽しめる花屋敷、百花園とも呼ばれるようになった。将軍や文人も訪れるなど文化的な交流の場となり、多くの浮世絵に描かれた。
『於中清七着替浴衣団七縞』前編(欣堂間人作、歌川国丸画)は、百花園を舞台にした物語。入口にかかる「看来東西南北客」の聯(れん)、生い茂る秋の七草、朝顔が咲く庭、「鳥の名の都となりぬ梅やしき」の句碑、隅田川焼を広げる様子、園内の「秋のななくさ道万葉集草木道」の標など、百花園内であることがわかる場面が続く。百花園を開いた佐原鞠塢をイメージしたと思しき人物も登場する。

江戸 高名会亭尽 本所小梅 小倉庵 歌川広重 [前期展示]
第三部は、「料理屋と仮宅」。江戸時代の料理屋は食事だけでなく文化交流の場でもあり、19世紀には浮世絵の題材として多様な形で描かれた。特に隅田川沿いの料理屋は、吉原遊廓の焼失時には仮宅としても利用され、その様子も浮世絵に描かれている。
隅田川沿いの料亭・小倉庵は汁粉が名物だったが、会席料理や湯浴みも提供していた。幕末には、幕臣の青木弥太郎と小倉庵の息子らが起こした強盗事件が人々の話題となり、多くの記録や実録物に残されている。
歌川広重の《江戸 高名会亭尽 本所小梅 小倉庵》には、小倉庵の外観が描かれている。二階建ての母屋の他、離れも備えた大きな料理屋であったことがわかる。小倉庵の前には源森川(源兵衛堀)が流れ、船遊びや釣りを楽しむことができた。

宮戸川岸の賑ひ 歌川国芳 [前期展示]
吉原遊廓が火災で焼失した際、再建までの仮営業が許可され、料亭などで営業が行われた。安政2年(1855)の大地震後には、隅田川沿いの仮宅を描いた浮世絵が多数制作された。
歌川国芳の《宮戸川岸の賑ひ》では、隅田川沿いの仮宅が描かれている。対岸の向かって左側に三囲稲荷の鳥居が見えることから、この仮宅は花川戸や山之宿辺に位置することがわかる。

本所七不思議之内 置行堀 三代歌川国輝 [前期展示]
会場では最後に「コラム」のコーナーがあり、名所だけではない隅田川にまつわるあれこれ、明治になってからの隅田川周辺についても紹介している。
三代歌川国輝の《本所七不思議之内 置行堀》では、釣りをして家路につくと堀から「置いてけ」と声がかかり、そのまま帰ろうとしても魚はいつの間にかいなくなり堀に落ちる者もいたという、本所七不思議のひとつを描いている。

隅田川燈籠流涼之真景 四代歌川国政 [前期展示]
四代歌川国政《隅田川燈籠流涼之真景》には、隅田川に浮かぶ都鳥の燈籠と、それを川船から眺める人々が描かれている。隅田川の水の事故で命を落とした人々の供養のため、7月の間毎夜、都鳥の形の燈籠が流された。
江戸初期、隅田川東側は水害が頻発する地域で、江戸時代から明治にかけて大規模な水害が度々発生していた。明治43年(1910)の水害では、向島一帯が冠水し、名所も大きな被害を受け、当時の水害を取り上げた絵ハガキも残っている。

東京開華名所図絵之内 隅田堤より真乳山を望 三代歌川広重 [前期展示]
三代歌川広重《東京開華名所図絵之内 隅田堤より真乳山を望》には、対岸に待乳山と有明楼、手前の堤には花見客が描かれている。警官に叱られる人もおり、明治の東京では警官が怒る光景が印象的だったのかもしれない。
明治時代になっても隅田川一帯は名所として描かれていたが、人々の服装や建造物には変化が見られ、江戸時代の面影を残しつつも新しい時代へと移り変わる様子がうかがえる。
本展は、たばこと塩の博物館が渋谷から墨田区に移転して丸10年となったことを記念し、移転前から収蔵する浮世絵に加え、隅田川とたばこ産業との関連から移転後に収集した隅田川の資料を併せて展示している。
隅田川周辺の歴史をたどりながら、晴れた川沿いを散歩しているような気分に浸ることができる、まさにこの地に根を張り積み上げてきた、たば塩の熱意の結晶を見るような展覧会。ぜひとも足を運んでみてほしい。
【入館料】
大人・大学生 300円
小・中・高校生 100円
満65歳以上の方 100円
※障がいのある方は、障がい者手帳(ミライロID可)などのご提示で、ご本人様と付き添いの方1名まで無料。
※やむをえず、開館時間の変更や臨時休館をさせていただく場合があります。
最新の開館状況等は、公式X、お電話でご確認ください。
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