密やかな美 小村雪岱のすべて
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- 18 時間前
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会期:2026年4月11日[土] – 6月7日[日]
前期:4月11日[土] – 5月6日[水・祝]
後期:5月8日[金] – 6月7日[日]
開館時間:10時~18時(金・土曜日は、20:00まで) ※入場受付は閉館の30分前まで
休室日:月曜日(5月4日をのぞく)、5月7日[木]
会場:千葉市美術館
【同時開催】
■手にとって愛でる日本の美術
2026年4月11日[土] – 6月7日[日]
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特集:花盛り 幕末・明治の浮世絵を中心に/棟方志功《二菩薩釈迦十大弟子》と関連作品
/密やかな線
2026年4月7日[火] – 5月6日[水・祝]
■つくりかけラボ20
西村優子|紙と手のあいだ
2026年2月11日[水・祝]-6月7日[日]
雪岱の全貌の把握とともに新しい雪岱像の発見が期待される、胸躍る回顧展
大正から昭和初期にかけて、日本画や書籍の装幀、小説の挿絵、舞台装置、さらに映画の美術考証と、幅広いジャンルで活躍した小村雪岱(こむら せったい、明治20/1887〜昭和15/1940年)。
その評価が高まってきたのはここ15年から20年ほど。平成21年に埼玉県立近代美術館と資生堂アートハウスで大規模な展覧会が開かれ、以降展覧会や書籍の刊行が相次いでいる。
そうした流れの中で千葉市美術館で満を持して行われる本展は、以下を特色とした。
ー雪岱の画業を総覧しうる回顧展。
ー「装幀」や「挿絵」といったテーマ別の括りでなく、編年体にこだわった構成。
ーその画業を「人」とのつながりから考えることで、小村雪岱とはどういう美術家であったかを再考する。

小村雪岱 《青柳》 大正13年(1924)頃 埼玉県立近代美術館蔵 【前期展示】
プロローグ「密やかな美」は、《青柳》《落葉》《雪の朝》の肉筆3点で幕を開ける。雪岱といえばまず思い浮かぶ代表作だ(前期でこの肉筆画を、後期はこの絵に基づくアダチ版画研究所の木版画を展示)。雪岱が10代を過ごした日本橋の景色を37歳(大正13年)の頃に追想して描いた作品と言われるが、いずれも人は描かれずその気配だけが漂う、さながら役者の登場を待つ舞台装置のような空間。雪岱芸術の作法を象徴する作品といえるだろう。
続く第Ⅰ章(「小村雪岱」の誕生まで)では、埼玉県川越市に生まれた小村泰助が小村雪岱になるまでを紹介する。書家のもとで学んだ後、荒木寛畝の画塾や東京美術学校の下村観山の教室に学ぶが日本画家としては大成せず、人生を決めたのは明治42年ごろの泉鏡花との出会いであり、共作だった。
雪岱は東京美術学校在学中に泉鏡花の『龍潭譚』に強く傾倒し、以来その作品世界に影響を受け続け、卒業制作《春昼》も鏡花作品に着想を得たとされる。雪岱は絵描きであると同時に鏡花の門人であると自称するほどに鏡花を敬愛しており、それは生涯変わることがなかった。

小村雪岱 《泉鏡花『日本橋』表紙》 大正3年(1914)(有)田中屋蔵 【後期展示】
第Ⅱ章(泉鏡花『日本橋』ー装幀の始まりと開花)では、雪岱初の装幀本『日本橋』をはじめとする数々の美しい装幀本を鏡花本を中心に見せる。並ぶ河岸蔵をあえて真正面から描きそこに色とりどりの蝶を乱舞させるという、鮮烈な表紙。見返しには日本橋界隈の四季を描き、それらを高度な木版画技術がまとめあげている。この装幀は雪岱の出世作となった。
第Ⅲ章では鏡花以外の装幀本も取り上げ、鏡花の取り巻きの一人の久保田万太郎の『薄雪草紙』(大正5年)など、親交のあった雪岱が手掛けた多くの装幀が紹介されている。
また会場では、資生堂の香水瓶、パンフレット、書籍などを観賞できる。雪岱は大正7年に資生堂の意匠部に入り、商品デザインや資生堂の書体などを手掛けている。資生堂の福原信三は、雪岱に和風のデザインを期待して招いたと伝えられている。
またここでは新聞挿絵の開始が重要な出来事として示される。里見弴の依頼で雪岱が「多情仏心」の挿絵を担当。当初は不評だったものの連日の制作は雪岱にとって貴重な経験となったことだろう。
さらに大正12年、雪岱は松岡映丘に誘われて京都帝室博物館の国宝絵巻模写事業に参加。以後は門下のように行動を共にし日本画制作を続けた。《草枕絵巻》は映丘と門下27名による夏目漱石の『草枕』に取材した絵巻で、千葉会場ではその上・下巻が前期に展示される。

小村雪岱《一本刀土俵入(舞台装置原画)》 序幕第一場 取手の宿・安孫子屋の前 昭和6(1931)年7月
埼玉県立近代美術館蔵 【前期展示】
第Ⅳ章(挑戦と模索の時代:1926~1931年)では、雪岱の昭和初年の仕事にスポットを当てる。たとえば雑誌『処女の友』の装幀。会場ではそのモダンで可憐な原画の数々を間近に眺めることができる。
舞台装置は大正13年の「忠直卿行状記」に始まり、雪岱は尾上菊五郎ら歌舞伎役者に愛され信頼された舞台装置家だった。代表作「一本刀土俵入」では舞台である取手で取材とスケッチを重ね、臨場感ある舞台装置を作り上げて大評判となった。その原画の料理屋の二階からは、今にもお蔦が顔を出しそうだ。
第Ⅴ章(九九九会の集いから)の九九九会は昭和3年に発足した泉鏡花を囲む親しい人々の集まりで、雪岱ほか水上瀧太郎、里見弴、久保田万太郎、岡田三郎助らが参加。後に三宅正太郎と鏑木清方も加わった。本章では関連資料や参加者ゆかりの作品を紹介している。
雪岱《見立寒山拾得》は、九九九会に参加した芸者を描いた肉筆で、同じ参加芸者を描いても、鏑木清方はまったく違う描き方をしている点が興味深い。
久保田万太郎『寂しければ』(大正15年)、里見弴『山手暮色』(昭和4年)、水上瀧太郎『月光集』(昭和4年)などでは、作者や内容に応じて装幀や挿絵の趣を変える雪岱の特徴が見られる点に注目したい。

小村雪岱 《邦枝完二「江戸役者」挿絵原画画帖より》 昭和7年(1932) 東京国立近代美術館蔵 【後期展示】
第Ⅵ章(挿絵の真骨頂 一粋と艶の美学)は、雪岱の挿絵を思う存分にみてほしい章。とりわけ挿絵原画の繊細な線、モノクロームの研ぎ澄まされた構成は見どころ。
雪岱が組んだ小説家には、邦枝完二、白井喬二、子母澤寬、吉川英治、矢田挿雲、村松梢風、土師清二ら、高名な作家たちがいた。時は大衆小説ブーム。その中で雪岱は売れっ子の挿絵画家となっていた。
雪岱はとりわけ邦枝完二との協働で新聞連載の「江戸役者」を手掛け、挿絵画家としての評価を高めるとともに、緊張感ある描線や人物に独特のポーズや、模様的なフラットな構成、大胆な黒面と余白の白との対比といった特徴をもつ「雪岱調」を確立した。今回は近年発見された貴重な挿絵原画の画帖(東京国立近代美術館所蔵の)を堪能できる。また、雪岱は邦枝完二と再び組んだ「おせん」で人気を博し、翌年の「お傳地獄」も大ヒットさせた。

第Ⅶ章(世の需めに応えて一円熟期の装幀・舞台装置・肉筆)では、売れっ子となった雪岱の円熟期の舞台装置、肉筆画を紹介する。
長谷川伸の小説『段七しぐれ』の装幀は、後期の雪岱の傑作。竹河岸の俯瞰を墨一色で見せる大胆な構図で、箱は鮮やかな赤色に「雪岱文字」が映える粋なデザイン。
子母澤寛の『突っかけ侍』の背には著者と並んで雪岱の名も記されており、挿絵画家の地位が低い時代にもかかわらず、その実力が高く評価されていたことが分かる。
また日本画では《春告鳥》に代表されるように、可憐で幸福感あふれる作品を多く残している。

小村雪岱 《春告鳥 昭和7年(1932)頃 個人蔵(埼玉県立近代美術館寄託)【前期展示】
第Ⅷ章(別れの時)では、亡くなる前年と亡くなった年の肉筆画、舞台装置、装幀本、そして絶筆となった挿絵などを展示している。雪岱は亡くなる前年に師と仰いだ泉鏡花を亡くす。その後、鏡花の顕彰に努める中で、自らも体調を崩して昭和15年の10月に亡くなった。
『薄紅梅』は鏡花最後の単行本で、三者共作といってよい美しい装幀を見ることができる。
そして雪岱最後の作品となったのが、「西郷隆盛 第二部 月魄の巻」の挿絵。昭和14年に連載が開始されたが、86回を描いたところで倒れ、それが紙面に掲載されたところで意識が戻らないまま息を引き取った。

小村雪岱 《おせん》 昭和16年(1941) 埼玉県立近代美術館蔵 *没後出版 【前期展示】
エピローグでは、雪岱の死後に仲間がその業績を偲んで木版画化する顕彰活動を紹介し、それらを通して雪岱のイメージを伝える貴重な資料が示されている。
さらに雪岱が亡くなる頃に手掛けていた泉鏡花原作の映画「白鷺」の映像も会場で鑑賞することができる。
雪岱が比較的早く忘れられてしまったのは、常に脇役として語られがちだったことに加え、比較的若く、しかも戦争中に亡くなって、評価の機会を逸したためといえるだろう。繊細で強靭、そして豊かな作品世界はもっと注目されてよい。
前期約380点、後期約370点(通期展示を含む)、計約650点という過去最大規模の作品資料が公開される、空前絶後の雪岱展。文学者や日本画家、出版や舞台に関わる人々との幅広い交流と協働に注目し、その画業を改めて見つめ直す。全体像の把握とともに、新しい雪岱像の発見が期待される胸躍る展覧会だ。
観覧料
一般1,500円(1,200円)、大学生1,000円(800円)、小・中学生、高校生無料
※障害者手帳をお持ちの方とその介護者1名は無料
※( )内は団体20名以上、および市内在住65歳以上の料金
◎ナイトミュージアム割引:金・土曜日の18:00以降は観覧料2割引
◎本展チケットで5階常設展示室「千葉市美術館コレクション選」もご覧いただけます。




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