下村観山展
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- 3月23日
- 読了時間: 6分
会期:2026年3月17日[火]~5月10日[日]
前期:3月17日[火]~4月12日[日]
後期:4月14日[火]〜5月10日[日]
開館時間:10時~17時 ※金曜・土曜は10時~20時 ※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日(ただし、3月30日、5月4日は開館)
会場:東京国立近代美術館 1F 企画展ギャラリー
展覧会公式サイト:https://art.nikkei.com/kanzan/
※本展は、和歌山県立近代美術館を巡回(2026年5月30日~7月20日)
“千年の美”の技術を我が物にし筆を振るった近代日本画の大家・下村観山。
関東では13年ぶりとなる回顧展で、改めてその芸術の真価に迫る。

《獅子図屏風》 1918(大正7)年 水野美術館蔵 (後期展示①4/14-5/10)
横山大観、菱田春草と並び“岡倉天心の三羽烏”と称され、近代日本画を切り拓いた画家として美術史にその名を刻む下村観山(1873-1930)。
狩野派、やまと絵、琳派など伝統的な日本絵画の筆法から、西洋画的な色彩・陰影表現まで、いわば“千年の美”の技術を我が物にし筆を振るった。
関東では13年ぶりとなるこの大回顧展では、大英博物館からの里帰り作品も含み、傑作150件超が集結。改めてその画業をたどり、最新研究を踏まえながら、近代日本美術史における観山芸術の真価に迫る。

観山肖像写真 個人蔵 (画像提供:神奈川県立歴史博物館)
激動の時代に生まれた画家・下村観山の歩みは、伝統と革新のはざまで始まる。
1873年、和歌山に生まれた観山(晴三郎)は、能楽師の家系に生まれながらも、幼くして東京に戻り絵の道へと進んだ。
やがて東京美術学校日本画科の第一期生として才能を開花させ、校長であった岡倉天心の理想のもと新しい日本画を模索する。
しかし学内の対立をきっかけに学校を離れ、天心が創設した日本美術院へ参加する。
こうした修業と葛藤の時代の中で、観山は日本の歴史や仏伝を題材とした壮麗な大画面を描き上げ、確かな構成力と描写力によって若き才能を鮮やかに世に示していった。


《毘沙門天 弁財天》 1911(明治44)年 徳島県立近代美術館蔵 (後期展示①4/14-5/10)
観山は1903年、文部省の命により日本画家として初の官費留学生としてロンドンへ渡り、2年間にわたり西洋絵画を研究した。水彩画の本場で技法を学び、油彩作品を水性絵具で模写するなどして西洋表現を自らの技法で探究する。また日本美術に関心をもつ作家アーサー・モリソンと交流を深めた。
古代ギリシャの哲学者像《ディオゲネス》は、英国留学時にモリソンに贈つた水墨画で、大英博物館から里帰りの一作。滞英中に日本に送った同モチーフの日本画の描法の別作品も存在し、それぞれに見る人を考えて描き分けているのが興味深い。
研究後にはフランスやドイツ、イタリアを巡り多くの名作に触れ、これら西洋での経験は帰国後の制作に大きな影響を与えた。
《魚籃観音》は留学から20年後、日本の伝統的主題に西洋画的な陰影のみならず、観音の顔立ちをレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」のように描いて西洋的表現を融合させた意欲作で、当時賛否を呼んだ。

《ディオゲネス》 1903-05(明治36-38)年頃 大英博物館蔵 ©The Trustees of the British Museum (通期展示)

《魚籃観音》 1928(昭和3)年 西中山 妙福寺蔵 (通期展示)
観山が留学から帰国した直後、日本美術の運命もまた揺れていた。東京美術学校を追われた岡倉は再起をかけ、日本美術院を東京から離れた五浦へ移す決断を下す。観山は横山大観や木村武山らとともにその理想を担い、海を望む地で新たな表現の創造に挑んだ。
その成果は《木の間の秋》に結実。金地に絵具の濃淡で木々を表現した本作は、東西の表現を融合させた新しい日本画として高く評価され、観山は画壇で大きく飛躍する。だが一方で日本美術院は衰退し、春草、そして岡倉の死によって、五浦での時代も静かに幕を閉じることとなった。

《木の間の秋》 1907(明治40)年 東京国立近代美術館蔵 (通期展示)
恩師岡倉の死後、観山はその遺志を胸に、大観とともに日本美術院の再興に立ち上がる。岡倉の一周忌の日、新たな研究所で再出発の式が行われ、観山はまるで恩師への誓いのように創作へと身を投じた。
再興後の院展では、謡曲に着想を得て盲目の法師・俊徳丸が流浪の末に天王寺で悲願の落日を心の目で見る場を描く《弱法師》(よろぼし)など、生涯を代表する作品を次々と発表し、人間の感情や精神の深奥に迫る表現で画壇を牽引していく。
晩年には中国元代絵画への関心を深め、古典へと回帰した静謐で格調高い境地に到達し、その探究は亡くなる前年まで続いた。


《弱法師》 1915(大正4)年 重要文化財 東京国立博物館蔵 Image: TNM Image Archives (前期展示3/17-4/12)
近代国家を目指して揺れる明治の日本で、観山は絵筆によって人々の“拠り所”を探し続けた。歴史や能を主題とした作品は、展覧会の場を越えて社会へ広がり、歴史的出来事を称え、学校教育にも用いられるなど、生きた歴史を伝える役割を担った。
やがて時代が大正へ移ると、人々の関心は国家から個人へと移り変わる。能楽師の家に生まれた観山にとって、能を描くことは単なる題材ではなく、自らのルーツを見つめ直す行為でもあった。歴史と伝統、そして自己の原点をたどるその作品群には、観山自身の内なる問いが静かに刻まれている。

《不動尊》 1925(大正14)年 大倉集古館蔵 (前期展示3/17-4/12)
高い人気を誇った観山のもとには、各地から制作依頼が絶えなかった。彼は注文の背景や受け手の境遇を深く汲み取り、その人にふさわしい主題を選び取って作品を生み出した。
1911年には実業家の渋沢栄一や学者の高田早苗らによって「観山会」が結成され、観山を中心に古美術鑑賞や語らいを楽しむ文化サロンのような場が生まれる。そこで生まれた作品の多くは中国古典などを題材とし、会員たちの教養や人生観に寄り添うものだった。
伝統的な主題を現代の心に響くかたちでよみがえらせる―その力によって、観山の絵は社会を牽引する人々の信念を静かに支える存在となった。
《楓》は、松平定信を尊敬していた渋沢栄一が、ゆかりの地に建てられた南湖神社(白河市)の本殿を飾る絵として観山に注文し奉納した作品。紅葉で知られる南湖の地にふさわしい円熟の一作。

《楓》 1925(大正14)年 南湖神社蔵 画像提供:白河市歴史民俗資料館 (前期展示3/17-4/12)
「国家中心の時代」から「個を重んじる時代」へと価値観が変化していくなかで、観山が何を思い、どのように自らの画業を守り抜いたのか―その軌跡を追うことで、彼の果たした仕事が自ずと浮かび上がってくるだろう。卓越した筆致の奥にひそむ、緻密で意欲的な試みに目を向けてみたい。
【入館料】
一般2,000円(1,800円)、高大生1,200円(1,000円)、高校生700円(500円)
*いずれも消費税込
*( )内の団体料金は20名以上
*中学生以下、障害者手帳をご提示の方とその付添者 (1名) は無料
*本展の観覧料で入館当日に限り、所蔵作品展「MOMATコレクション」(4〜2F)もご覧いただけます
*単眼鏡は、公式オンラインチケットで単眼鏡付きチケット(入場料+300円)をご購入いただくか、
東京国立近代美術館券売所で単眼鏡チケット(300円)をご購入いただくことでご利用いただけます。
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)




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